アバンダンス - 供給サイドの進歩主義
Abundance(アバンダンス: 豊穣)は、米国のリベラル派の一部で、重要な政策の軸になりつつある概念です。
このAbundance は、「もっと成長しよう」というスローガンではなく、住宅、エネルギー、交通、医療、科学技術、ケア、行政サービスといった基礎的な財・サービスについて、再分配や需要補助だけでなく、供給サイドの問題を問うもの ――「なぜ十分に作れないのか」「なぜ高すぎるのか」「なぜ政府は実装できないのか」を問うフレームだと言えます。
この議論は、2021〜22年ごろの供給サイド進歩主義、YIMBY、国家能力論、科学技術政策論、気候変動対策論を背景に形成されてきて、2025年3月のEzra KleinとDerek Thompsonによる『Abundance』によって大きな話題となりました。現在では、カリフォルニア州政や連邦議会の一部で政策ラベルとして使われ始めています。
日本においても『アバンダンス 「豊かな時代」を呼びさませ』という書名で、2025年12月に日本語に素早く翻訳されて発売されています。実際、日本にとっても、労働力不足、GX、半導体、デジタル規制改革、地方行政の実装力を考えるうえで参考になる概念です。
Abundanceの定義:「作れる社会」
まず定義から振り返ってみます。
狭義のAbundanceは、Ezra KleinとDerek Thompsonが2025年3月に刊行した『Abundance』と、それを中心に形成された米国の政策運動のことです。
同書は、住宅、移民、クリーンエネルギー、公共事業、科学技術を横断して、米国が「必要なものを十分に作ってこなかった」ことを問題の中心に置きます。それが原因で、様々な生活必需品が高くなり、人々の生活を苦しめている、という見方です。
出版社の紹介文でも、住宅不足、労働力不足、クリーンエネルギーインフラ不足、公共事業の遅延・費用超過を同じ構造の問題として並べ、「保護し保存するだけでなく、構築するリベラリズム」への転換を掲げています。
広義には、Abundanceは「供給サイド進歩主義(supply-side progressivism)」に位置づけられます。これは、伝統的な右派のサプライサイド経済学、すなわち減税・規制緩和によって資本形成を促す議論とは似ているようで少し異なります。
Abundanceの焦点は、住宅、電力、医師、保育、交通、科学研究のような基礎財の供給制約を取り除き、必要なら公共投資、R&D、移民、調達改革、行政能力の強化、競争政策を組み合わせることにあります。政策としては、「需要補助だけでは価格が上がる財について、供給能力・許認可・実装能力・市場構造を同時に見るフレーム」と捉えると良いでしょう。
系譜
事の起こりは2021年ごろにあるようです。
COVID-19パンデミックを経て、Ezra Kleinは2021年9月にサプライサイド進歩主義に関する記事を書きます。その後、Derek Thompsonが2022年1月に「アメリカが抱えるすべての問題を解決するための、シンプルな計画(A Simple Plan to Solve All of America’s Problems)」という記事で、そうした議論に対してAbundance Agendaと名付けました。そうした流れが合流して、2025年の『Abundance』へ発展していきます。
この前後には関連するいくつかの動きもありました。
1つめは、2016年前後からある、住宅政策におけるYIMBY (Yes In My Back Yard) 運動です。とくにカリフォルニアやニューヨークのような高所得・高需要地域で、ゾーニングや環境審査、近隣拒否権が住宅供給を抑え、結果的にリベラル都市を排他的にしているため、NIMBY (No) ではなく Yes と言おうという議論です。
2つめは、Niskanen Centerの2021年の記事『Cost Disease Socialism』が示した、医療・住宅・教育・保育の「中核的社会財」のコスト上昇を、単なる財政問題ではなく供給制約の政治経済として見る動きです。同レポートは、供給を制限したまま費用を社会化すれば、補助がさらなる価格上昇を呼ぶ悪循環になりうると論じました。
3つめは、進歩主義の内部からの「供給サイド」再発見です。Miles Kimballは2012年以来「supply-side liberalism」を提唱してきたと述べ、Ezra Kleinの2021年のNYTの記事もその流れに位置づけています。前述したDerek Thompsonの2022年のThe Atlanticの記事でも、米国にはCOVID検査、住宅、移民、医師、太陽光パネルが不足していることを指摘して、そこから abundance agenda という命名につなげていました。
第四は、国家能力・国家実装力(state capacity)の議論です。前回の『State Capacity - 国家能力・国家実装力』の記事で整理したように、近年のNiskanen Centerでは、国家能力を「政府が政策目標を実際の行動と成果に変換する能力」として再定式化し、徴税や治安維持だけでなく、採用、調達、IT、行政手続、現場からの学習、フィードバックループを含む「実装の部品群」の問題として捉えています。そしてAbundanceが住宅・インフラ・エネルギー・医療・科学技術の供給不足を論じるとき、しばしばその背後には国家実装力の不足がある、といった関連性を見せています。
主要論者・機関の立場
Ezra KleinとDerek Thompsonの主張は、「希少性の多くは自然条件ではなく、政策選択によって作られた」というものです。ただし、彼らは市場原理主義者ではありません。むしろ、リベラルが政府の必要性を認めるなら、政府が本当に物を作り、許認可し、科学を支援し、公共財を届ける能力を取り戻す必要がある、と主張しています。たとえば、1970年代の問題に対応するために設計された規則が、2020年代の都市密度化やグリーンエネルギーを妨げている、という整理などは特徴的です。
賛成の立場として、2022年1月に設立された新興シンクタンクのInstitute for Progressがいます。その設立論考『Progress Is a Policy Choice』の中で、科学・技術・産業の進歩を加速させることを掲げ、サプライサイド進歩主義やアバンダンスアジェンダという言葉を引用したうえで、イノベーション政策、移民、メタサイエンス、インフラ改革へ接続しています。
一方、Roosevelt Instituteは『Abundance That Works for Workers—and American Democracy』で、Abundance自体を否定せず、労働者と中間層の権力を強める形で設計されなければならないと論じています。組合を単なるコスト要因や遅延要因と見るのではなく、技能形成、政治的連合、実装能力の一部として組み込むべきだという立場です。
より強い批判側では、Matt BruenigのPeople’s Policy Project『The Abundance Agenda』が、建設の行政負担と科学イノベーションの問題を「Abundance」という一語で束ねることは、分析を過度に曖昧にすると批判しました。また、American ProspectのDylan Gyauch-Lewisは、Abundanceを中道派・企業寄りの「ネオリベラリズムの再ブランド化」と、かなり強く批判しています。
論争軸1:手続き改革か、民主的セーフガードの弱体化か
こうした批判があるように、アバンダンスにはいくつかの対立軸があります。
第一の対立軸は、許認可・環境審査・住民参加をどう扱うかです。Abundance支持派は、NEPAやCEQA、ゾーニング、訴訟リスク、重複審査が、住宅やクリーンエネルギーの供給を遅らせていると見ます。米国政府もこの問題を認識しており、2022年のBiden-Harris政権の「Permitting Action Plan」は、インフラ許認可について省庁間調整、透明性、タイムライン、早期の地域関与、行政リソース強化を掲げました。
もともとAbundanceは単純な「環境審査を削れ」という話ではありませんが、とはいえ、それでもそこには批判の余地はあります。Brookingsの『How to reform federal permitting to accelerate clean energy infrastructure』は、再エネ・送電の許認可が長期化していることを認めつつ、環境保護や住民参加を迂回するのではなく、事前計画、低環境感度地域の指定、プログラム型審査、FERC権限、行政機関のスタッフ能力強化など、対象を絞った改革を提案しています。
争点は、「手続きを残すか削るか」ではなく、どの手続きが実質的なリスク発見と民主的正統性を高め、どの手続きが拒否権の濫用や遅延の制度化になっているかです。Abundanceを間違って使うと、単なる規制緩和やセーフガードの弱体化につながるというのは一理ある批判です。
論争軸2:供給か、分配・市場権力か
第二の対立軸は、物価高や生活費問題をどこまで供給制約として見るかです。
Abundance支持派の立場の論では、住宅が足りない都市で家賃補助だけを増やせば、補助は価格に吸収される、と整理されます。医師や保育士、送電容量、建設労働力が足りない領域でも同様に、需要を支える政策だけでは価格上昇を抑えられません。この論理は、再分配を否定するのではなく、再分配の効果を高めるために供給拡大が必要だという立場です。
批判派は、これが市場権力、企業集中、地主・開発業者・金融の利害を過小評価するものとして見ます。Roosevelt Instituteが警告するように、Abundanceが労働者の交渉力や公共部門の能力を強めるのではなく、集中した経済利害を豊かにするだけなら、ポピュリスト的反発を招き、民主主義の基盤を弱めます。People’s Policy Projectの批判も、住宅建設の行政負担、科学資金のリスク回避、量産化支援、成長論を一つの概念で束ねると、各領域の権力関係や制度設計の違いが見えにくくなるという点にあります。
第三の関連争点は「場所」です。BrookingsのTimothy J. Bartikは、Abundance運動が高成長都市で住宅を増やし、人々を移動しやすくすることを重視する一方、衰退地域の雇用・公共サービス・地域経済を軽視しがちだと批判します。彼は、移住を促すだけでは残された住民を助けられず、place-based jobs policyを含む「包摂的Abundance」が必要だと論じています。
政策への影響:理念から制度政治へ
こうした批判を受け、争点も残しながらも、Abundanceはすでに米国の制度政治に採用されつつあります。(完璧な思想はないので、いずれもそうした争点は残るものですが)
カリフォルニア州のNewsom知事は2025年6月、住宅・インフラ供給を促すAB 130とSB 131を含む予算関連法に署名し、州政府はこれを「California’s Abundance Agenda」と命名しました。発表資料では、インフィル住宅、高速鉄道、公益設備、ブロードバンド、山火事対策、農業労働者住宅などを対象に、供給を速める制度改革だと説明しています。
連邦議会でも、2025年に超党派のBuild America Caucusが立ち上がり、住宅コスト、電力網制約、インフラ遅延を「self-imposed scarcity」と呼び、住宅、安価なエネルギー、許認可改革を掲げています。2026年時点の同コーカスのページには、住宅改革やNEPA改革をめぐる活動が掲載されており、Abundanceが単なる論壇語ではなく、立法アジェンダになりつつあることが分かります。
ただし、『Abundance』の書籍が出て約1年後の2026年4月のインタビュー『What Worries Me Most About ‘Abundance’』で、Kleinらは、Abundanceは雰囲気や立法の段階では広がったが、住宅着工やクリーンエネルギー供給などのアウトカムでまだ十分に示されていない、といった議論をしています。同エピソードでは、許認可だけでなく、金利、建設費、労働供給、資金調達もボトルネックであり、法改正だけでは建設が自動的に増えない点が指摘されています。(書き起こしはこちら)
また、Abundanceの最大の強みは、住宅、エネルギー、医療、行政、科学、産業政策を「作れなさ」の問題として横断的に見せる点ですが、最大の弱みもそこにあり、概念が広すぎるため、許認可改革、反独占、労働政策、公共投資、科学技術政策、移民政策、地方創生が一つのバズワードに吸収される危険もある点です。
日本への翻訳:Abundanceを輸入語ではなく「供給力」として読む
日本にAbundanceの議論を応用するなら、米国型の「住宅が作れない」という問題をそのまま移植するのではなく、同じ構造を持つ供給制約・実装能力の問題として整理する方向ではないか、と考えています。
英語版『Abundance』が出た頃に書いた『「供給力」の時代とスタートアップ』という記事でも、Abundance の議論に触れながら、日本でも需要喚起から供給力へ重心が移りつつあると整理しました。特に日本では、コストプッシュ型インフレ、労働力不足、生活維持サービス、グローバルサプライチェーンの再編が、日本の供給力についての再考を促しています。
国家実装力の面では、デジタル庁のアナログ規制見直しもAbundanceにつながる議論です。同庁は、目視、対面講習、書面掲示などを前提とした規制がデジタル技術活用を妨げているとし、人口減少・高齢化・労働力不足のもとで、地方公共団体の行政サービス維持に不可欠な改革として位置づけています。これは「供給力」を上げるための、かなり地味だけれど重要な制度基盤・実行基盤だと整理できます。
さらに経済安全保障面もあります。たとえば半導体や重要鉱物の議論です。ただし、日本におけるこの文脈でのAbundanceは、アメリカと違い、国内での自給自足ではなく、「戦略的に十分な供給能力」と「同盟・友好国との供給分担」を設計する問題として読むほうが有効ではないかと思います。
もし日本において危うい点があるとしたら、Abundanceを「規制緩和一般」とだけ捉えることでしょう。規制緩和は一部必要かもしれませんが、Abundanceはそうした議論だけではありません。また、供給力という言葉を盾に、生活者と関係の薄い供給力を増やしていくような試みもなされかねません。
今後の展望
米国の2026年の中間選挙、2028年の大統領選において、Abundance は民主党の1つの思想的な軸にもなりうる概念です。すでにBuild America Caucusなどの動きがあるように、こうした動きがどのようにアメリカのリベラルで受け入れられるか、あるいは別の動きが取り入れられるかは、今後の日本の思想や政治にも示唆を与えてくれるのではないかと思っています。
ただし、何度か懸念を示したとおり、Abundance の概念が広すぎるため、少し整理しながら進めていく方が有効のように思います。たとえば以下のような整理です。
生活のAbundance:住宅、医療、保育、エネルギーを安く十分に供給する。
建設のAbundance:住宅、送電線、公共インフラを早く作る。
国家能力のAbundance:行政、調達、許認可、IT、人材採用、執行能力を高める。
科学技術のAbundance:R&D、メタサイエンス、移民、量産化支援を強める。
地政学的Abundance:半導体、重要鉱物、エネルギー、サプライチェーンを安定化する。
そして、Roosevelt Instituteの批判にあるように、「供給を増やす」ことと同時に「誰のために増やすか」といった議論をもっと積極的に行っていくべきでしょう。供給力の増強は「その供給増が誰に裨益するのか」の議論が弱まりがちだからです。
そのためにも、きちんとアウトカムを見ていく必要があるのだろうと思います。そのための成果指標、たとえば、
エネルギー:系統接続待ち期間、送電容量、再エネ導入量、電力価格など
行政:行政手続き処理日数、オンライン完結率、自治体職員1人あたり業務量
といったようなところを設定していく、そうした動きもまた必要なのではないかと考えています。
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