進歩的愛国主義 - Progressive Patriotism
進歩的愛国主義(Progressive Patriotism)は、右派ポピュリズムが使う「国民」「主権」「誇り」といった言葉を、右派的な排外主義に帰着させるのではなく、左派・進歩主義的な平等や包摂、公共投資や民主的市民権のために使い直そうという試みです。またこれは国という共同体への帰属意識を再構成し、進歩的な国民的連帯を再構築しようとする左派側からの動きとも位置づけられます。
この概念が論じられはじめている背景には、左派の基盤となっていた「労働者の連帯」が薄れる一方で、普遍主義や世界市民主義だけでは再分配や国家能力への支持を十分に維持できなくなった、という危機意識と、そこから派生した「別の連帯を生んでいく必要がある」という認識があるように思います。
進歩的な「国民的連帯」に向けての取り組み
狭義の進歩的愛国主義としては、サウサンプトン大学教授のJohn Denhamが2017年のPolitical Quarterly論文『A new Progressive Patriotism』で提示した、社会民主主義の再多数派化戦略があります。
Denhamは、現代資本主義社会で最も動員力を持つ政治的アイデンティティは国家・人々・場所であり、左派の戦略課題は急進的な社会経済政策を「共通の国民的目的」に埋め込むことだと論じました。
またBrookingsのWilliam A. Galstonは2018年に『In defense of a reasonable patriotism』で合理的な愛国主義 (reasonable patriotism) を擁護し、
patriotismを「特定の政治共同体への特別な愛着」
nationalismを「文化的・政治的同質性により強く依拠するもの」
として区別しました。
ここでの合理的な愛国主義とは、普遍的原理と特定共同体への責任を両立させる民主政治の基盤のことであり、自国の過ちを免罪することではないことに注意が必要です。
政策や政治の現場において、進歩的愛国主義は、グローバル化、脱工業化、供給網リスク、気候移行、地域格差、移民・多文化社会といった、社会における様々な変化とそこから起こる不安に対して、雇用政策や産業政策等で対応し、包摂的な国民的プロジェクトを起こす狙っているように見えます。
ただ、そうした国によって牽引される政策によって「国家が再び重要になる」という単純な国家主義ではありませんし、英米豪のいずれでも、統一された法令名や確立した国際関係論の標準的な概念にもなっていないように見えます。しかし現実の政治の世界では、オーストラリアのAnthony Albanese首相がこの「進歩的愛国主義」という言葉を明示的に用いるなど、政治や政策のシーンで見られるようになってきています。
進歩的愛国主義の系譜
進歩的愛国主義は突然出てきたわけではありません。いくつかの系譜があります。
系譜の1つは、リベラル・ナショナリズムです。Yael Tamirの1993年の書籍「Liberal Nationalism」に代表される議論は、国民的帰属を単なる前近代的残滓とは見ず、民主的自己決定や福祉国家の連帯を可能にする条件として評価しました。さきほどのBrookingsのGalstonの議論もこの系譜に近く、コスモポリタンな普遍主義だけでは、実際に住む国において税を払い、その税によって公共サービスや安全・防衛を支え、同じ制度に従うという政治的結束を実感しにくい、という問題意識があります。
もう1つの系譜は、社会民主主義の選挙的・社会的基盤の再構築論です。さきほどのDenham教授は、労働者階級の組織文化が弱まり、移民、地域格差、Brexit後の主権論争が重なるなかで、左派が国家・人々・場所を軽視すれば、再分配や制度の正統性そのものを失うと論じました。彼の論点は、愛国的レトリックを選挙前に加えることではなく、公共調達、規制、インフラ投資、外国所有の審査、移民管理、医療サービスや福祉国家の「共通善」を、国民的経済戦略として組み直すことです。
さらにオーストラリアの包摂的ナショナル・アイデンティティ論もあります。現在はオクスフォード大学でChief Diversity Officerを務めるTim Soutphommasaneは、『Reclaiming Patriotism: Nation-Building for Australian Progressives』(2009年)において、多様化していくオーストラリアにおいて、進歩派こそがAustralian patriotismを定義する必要があると説いており、自由、平等、民主的市民権、和解、多文化主義、環境政策を、オーストラリアという政治共同体の物語に結びつけようとしました。
主要な論者・機関――英豪米で異なる扱われ方
英国では、Denhamに加え、IPPRが2025年の『Reclaiming Britain: The nation against ethno-nationalism』でこの議論を行っています。IPPRは、右派の民族ナショナリズム(ethno-nationalism)に対抗するには、左派が国家を忌避するのではなく、平等、共通生活、公共インフラ、移民・市民権、カリキュラム、メディア、地域政策を含む「nation-building project」を提示する必要があると論じています。
オーストラリアでは、Anthony Albanese首相がこの語を最も明示的に用いています。2025年のNational Press Club演説では、明確にprogressive patriotismという語彙を使い、普遍的医療、最低賃金、年金、民主主義、再エネ雇用、防衛能力をprogressive patriotismの中に位置づけました。2026年のNational Press Club演説でも同様にprogressive patriotismという言葉を使い、燃料供給、製造業、AUKUS、ASEAN・APEC・EUとの関係を、経済主権や国家レジリエンスと接続したうえで、progressive patriotismを「豪州の価値に基づいて不確実性に対処する方法」として定義しました。
米国では、GalstonやThe Liberal Patriot系のリベラル・パトリオティズムがあるほか、バイデン期のNew Deal型の経済的愛国主義として現れています。より直接的には、Ro Khannaが2026年4月のNational Press Club演説で「New Economic Patriotism」を掲げて、介護経済、職業訓練、労働者所有、国民健康保険、無償大学・職業学校、10ドル保育、富裕層課税を一つの国民的再建計画としてまとめようとしています。
日本でも有名なNY市長のMamdaniは、nationalな愛国主義ではなく、municipal progressive patriotism (都市進歩的愛国主義と言えるようなもの) やcivic socialismとも呼べるものを掲げ、抽象的な社会主義を取るのではなく、都市における共同体感覚を重視したコミュニケーションを行っているように見えています。これはProgressive Patriotismの都市政治・民主社会主義・多民族バージョンと捉えると示唆的であろうと思います。
主要な論争軸――連帯の条件か、排除の入口か
とはいえこの考え方にもいくつかの反論や論点があります。
第一の論点は、愛国主義が民主的連帯の条件なのか、それとも排除と暴力を引き入れてしまうものになるのかです。
支持派は、税、福祉、公共投資、移民統合、脱炭素投資のような政策には、抽象的な人類愛だけでは足りず、「同じ社会を作っている」という連帯感が必要だと考えます。そしてDenhamやIPPRが強調するのは、国民の結束がなければ、再分配や国家能力の再建は選挙的にも制度的にも脆弱になる、という点です。
これに対し、コスモポリタン側からの批判は、国家主義そのものが道徳的優先順位を歪めると見ます。Martha Nussbaumは古典的論考「Patriotism and Cosmopolitanism」で、第一義的忠誠は国民国家ではなく人類共同体に置くべきだと論じました。近年の左派批判でも、openDemocracyのLaura Basuが、ナショナリズムは「progressive」と称してもレイシスト化を免れない、とする立場を示しています。
これらの論で挙げられる懸念は、愛国主義は、どれほど進歩的に再定義しても、国境外の人びとの権利を二次的なものとして、難民、移民、敵対国市民への共感を弱めるのではないか、というものです。また、気候変動、パンデミック、難民危機のような越境課題では、国民的連帯の強化が国際的連帯の弱体化と衝突しうる、という実務的な論点を挙げられることもあります。
第二の対立軸は、「包摂的ナショナリズム」は実際に可能なのか、という問題です。
進歩的国家主義の支持派は、国民的物語を右派に委ねれば、国民の定義は出生、血統、宗教、文化的同化に寄っていくと考えます。よって左派こそが、多民族・多文化社会に適合した国民物語を作るべきだ、という論理です。一方、批判派は、市民的国家主義と民族国家主義の区別は実際には不安定であり、市民的言語で始まった国民統合も、危機時には容易に排除へ傾くと警戒します。
第三の対立軸は、Progressive Patriotismが実体ある国家能力の再建なのか、選挙向けの単なるメッセージなのかです。
Denhamは、国旗や愛国的スローガンを後付けするだけでは不十分で、経済主権、地域投資、移民・市民権、歴史教育、公共制度の設計まで含む必要があると警告しています。IPPRも、ナラティブだけでは不十分で、国家を「集合的意思決定の制度」として再建する政策パッケージが必要だと論じます。一方で、住宅、医療、賃金、技能、地域、インフラといった政策で可視的成果を出せなければ、逆に「国家は約束したのに何も変わらない」という不信を深める可能性もあります。
政策への影響――産業政策、経済安全保障、国家再建
Progressive Patriotismの政策的影響は、産業政策と安全保障を社会民主主義的な形に再構成しようという取り組みとして現れる傾向にあります。オーストラリアのFuture Made in Australiaはその一例です。またAlbanese政権の2026年演説では、燃料、製造業、重要鉱物、防衛製造、技能、医療、住宅支援が一つの国家レジリエンスの物語として語られています。
英国では、労働党の「securonomics」と2025年のModern Industrial Strategyが、同型の政策を作っています。政府文書は、8つの成長部門への投資拡大を掲げ、National Wealth Fundは270億ポンド超の資本基盤と1000億ポンド超の民間・公的資金動員を目標に、クリーンエネルギー、港湾、電池、グリーンスチール、送電網、地域再生などに投資すると説明しています。これは、国家がリスクを取り、地域と産業を結び直して、国家を再建していこうとする政策です。
米国のバイデン政権期にも、名称は異なるものの、Progressive Patriotismに近い発想がありました。国家安全保障戦略は、サプライチェーン、半導体、気候投資、産業基盤、包摂的民主主義を同じ戦略体系に置いて考えられ、IRAなどでは労働政策とも絡めて政策が打たれました。
また、2025年ロンドンのProgressive Action Summitでは、Keir Starmer、Mark Carney、Mette Frederiksen、Anthony Albanese、Pedro Sánchez、Jacinda Ardernなどが参加し、進歩派と見なされる人たちが右派ポピュリズムに対抗するための「new security promise」を議論したとされています。そのイベントについての Das Progressive Zentrum の報告では、イベントでの中心論点の一つが、国民的アイデンティティと社会的・包摂的価値を組み合わせるProgressive Patriotismだったと整理しています。
日本への含意――「経済安全保障」を社会契約に接続できるか
日本では進歩的国家主義(Progressive Patriotism)という語が広く政策・政治用語化しているわけではありませんが、現在の社会的状況との関連は深い概念だと考えています。
日本でも民族ナショナリズムを標榜する政党の勢いが増していくなかで、進歩派は十分な連帯のメッセージを出せているわけではありません。従来の左派の基盤だった労働者の連帯が弱くなる中で、左派や進歩派が重視する再分配の基盤となる国民的物語をどのように構築するのかについて、日本の社会もまだ迷っているように思います。そこで英語圏で行われている進歩的愛国主義の議論はヒントを与えてくれるでしょう。
実際の政策的な実装においても関連しています。経済安全保障、GX、賃上げ、地域再生、半導体・重要物資支援といった産業政策・地域政策を、どのような国民的物語で結ぶかという問題をどのように扱うのかという点です。また経済安全保障や産業政策を単なる企業補助、技術保護、対中リスク管理に閉じず、賃金、技能、地域、公共サービス、民主的正統性と接続できるかを問うことで、愛国主義とのより深い接続が見えてくるはずです。逆に、その接続が弱ければ、「国益」の名で特定産業を支援するだけのテクノクラティックな産業政策、または保守的ナショナリズムへの追随に見えるリスクがあるのが、現在の政策状況です。
今後の展望・残された論点
Progressive Patriotismの今後は、いくつかの論点を超えていかなければなりません。
第一に、包摂的な国民のナラティブが、移民、先住民、地域、宗教的少数派をどのように含んでいけるかです。日本も多様な住民がいる中で、どのような連帯や、それに基づく再分配の仕組みを作っていけるかが問われています。
第二に、産業政策と経済安全保障が、賃上げや技能形成、住宅、医療、地域再投資に転化できるか仕組みを取れるかです。国民への裨益や実感がなければ、進歩的愛国主義は、すぐに感情的な愛国主義に取って変わられてしまうでしょう。
第三に、国民的連帯と国際的責任をどう両立させるかです。気候、難民、同盟、貿易、安全保障の領域では、「自国民を守る」論理と「国境を越えた責任」の論理がしばしば緊張関係に陥ってしまいます。コスモポリタン(地球市民)であり、特定の国の国民・住民であることをどのように両立させるのかが問われています。
まとめると、進歩的愛国主義は、進歩派がナショナリズムを無視できなくなった時代の応答でもあります。そしてそれが成功するかどうかは、言葉の巧拙ではなく、国家能力、公共投資、社会的信頼、歴史認識、国際協調を同時に扱えるか、そうした政策を作って実装できるかにかかっています。
その意味で、進歩的愛国主義は、右派ポピュリズムへの対抗言説であると同時に、進歩派自身に対する厳しい政策実装テストでもある、と言えるでしょう。








